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コロナ禍にバルコニーで歌い続けたオペラ歌手、マウリツィオ・マルキーニ。
ポンテ・ヴェッキオでの熱唱を中継で拝聴しました。
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source:Maurizio Marchini
室内に籠りがちな日々を過ごしていると身体の感覚が鈍くなりますが、一歩外に出ると、風向きや気温、地面の硬さの微妙な変化を今まで以上に感じます。人間の感覚は外の世界と密接に連関していて、日々の暮らしは物理的でも心理的でもない、感覚的な諸要素から構成されているのだと改めて気付きます。
世界を隅々まで知的に把握することは到底不可能ですが、時に感覚を研ぎ澄ますことも大切なのではないかと思います。これもパンデミックが「見えないもの」を見えるようにしてくれた働のひとつかもしれません。
今回の被害によって、社会的な「共助」や「共感」の視点が重要だと唱える人がいます。「共感」は英語では「sympathy」もしくは「empathy」で、「sympathy」は感情的状態、「empathy」は知的状態を意味するようですが、そのどちらでもない様な気がします。コロナウイルスは大変な脅威ではありますが、「放任する」か「駆逐する」かの2択ではなく、微妙な共存を模索すること、時には無意識に主導権を譲り、感覚を通して世界を理解することも必要ではないでしょうか。