Warehouse in Kitakata

 コロナ禍の中、学生時代に訪れた喜多方を再訪しました。

 喜多方には、酒や味噌を仕込む蔵や商人が造った豪奢な座敷蔵など、明治から大正期に造られた2600棟もの蔵が点在しています。この地域は雪解けの良質な水と風味とコクを醸し出す気象条件によって、米や穀物などの農業や酒、味噌、醤油といった醸造業、加えて漆器や製絹業も盛んで、その豊かな資力を背景に様々な形態の蔵が造られてきました。厳しい風雪と閉ざされた環境にあっても、蔵と日常を切り離すことなく、生活の知恵を活かした細やかな工夫が施されています。

 嶋新荒物屋は明治15年の建造。妻入りの家財蔵の奥に平入りの商品蔵が3棟並び、合わせて二十間半の長い一つの屋根で覆われた長大な構えは圧巻。

 喜多方市内を抜け、国道を米沢方面に北上すると山並みと田園の彼方に赤煉瓦の三津谷地区の集落があります。若菜家は国登録有形文化財で寛政年間に構えた主屋の脇に農作業蔵(明治43年)、座敷蔵(大正6年)、三階建の家財蔵(大正5年)、味噌蔵(大正10年)などがあります。

 三津谷集落近くの煉瓦工場の登り窯は昭和40年頃まで操業されていました。ここで焼かれた煉瓦と燃料の松材の薪を物々交換で蔵に利用したそうです。

 米沢街道をさらに北上すると、山裏に杉山集落があります。この集落の生業は農業と林業のほかに炭焼きや養蚕が副業で、木炭やスゲを火災から守るために土蔵や白漆喰の塗籠造りの蔵が多く造られました。

 山村の農家らしい素朴で清々しい佇まいの蔵が、むらみちの両側に十数棟並びます。

 白と黒の漆喰が繊細に塗り分けられた開口部。

 喜多方の市街地から南西約5Kmにある神宮熊野神社は1085年に遷宮、1614年に再建。

 長床は桁行9間、梁間4間の和様の仏堂に近い形式で、単なる拝殿ではなく修験道場を兼ねていました。太い列柱と身舎に掛かる虹梁の量感が雄大寛厚。

 宿泊は裏磐梯のホテリ・アアルト。建築家と職人の丁寧な仕事ぶりが、あちこちに息づいています。

 中庭から木立の奥へ続く小径の先に、湧水によってできた美しい湖沼があります。その日、その瞬間にしか味わえない輝きを目に刻みました。