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ドイツが生んだ現代アートの巨匠ゲルハルト・リヒター。60年の画業を俯瞰する展覧会が国立近代美術館で公開されています。
話題の「ビルケナウ」連作は、人の内なる暗黒面を克服しようとする試み。表現とは何に向かう活動なのかあらためて考えさせられます。
「私の絵画には対象がない。作品自体が対象である。作品には内容がなく、意味がない。対象や樹、動物、人間、日々と同じように、それらは理由も目的も目標もなく、たんにそこにある。問題なのはその性質なのだ。」とはリヒターの言葉。
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特に今回は意味や意図を考えずに、作品を即物的に「見る」ことに徹し、表面のテクスチャー、色、光、額や周辺空間を含め知覚することに集中。写真を写した絵画、絵画を写した写真、鏡やガラスに映り込んだその虚像に囲まれ、膨大な「見る」快感に埋もれた1日。
建築でも美術作品でも事前に情報を読み込み、頭でわかった気になって見てしまうと、現地では、その情報の確認作業になってしまいます。かといって事前のリサーチを怠ると見落しが出てしまう。その矛盾をどうするか。ある時気づいて、事前の情報を一旦リセットして、耳を澄ますように作品に対峙するようにしています。音楽が最終的には聴く人のものであるように。